竹岡晴人のコラム

バブルの思い出

平成元年の日本…そこには信じられないようなハチャメチャで、キラびやかで、
札束が乱れ飛び、誰もが永遠の繁栄を信じて疑わない日本、東京の姿がありました。思えば我社も絶好調の平成元年3月でありました。

地価は天上しらずの上昇を続け、銀座坪3億、御堂筋坪1億5千万と言う価格が成立していました。

土地ころがし地上げといったアングラマネーが百億単位で乱れ飛び社会の悋気
は最高潮に達していました。

とうとう政府も社会の不公正感を鎮める目的から地価抑制政策を発動します。

地価監視強化、懲罰的土地税制、総量規制(不動産融資の禁止)etc。

既に高くなりすぎて誰も手をださなかった都心商業地の地価は、これによって取引のないまま正に株価で言う「売り気配」の状態が続き、10数年を経過します。

これがいわゆる「バブル崩壊」とか「失われた10年」という時代なのです。

バブル崩壊により我売り上げは、ほとんどゼロに近くなった。
我社のメインは兵庫抵当証券、総合住金、幸福銀行、某大手リ−スでこの4社が売り上げの約80%を占めていた。

ご承知の通り前3社はつぶれた。

平成3年3月決算の売り上げがほぼ一億でそれから1年ごとに半分づつ減少し
平成6年3月が1,500万であった。

個人で株式投資もやっていて、この損失が3,500万でていた。こうなると借金の返済はほとんどできない。当然、借金取りに追いまくられることになる。

やる事はただ1つ。
事務所縮小。
徹底した経費の節約。
借入金の返済融資の申請。

それまで10人居た事務所は平成6年から私と事務員(パ−ト)の2人だけとなった。

独立時の初心に戻って、営業活動を再開したが、全く仕事はとれなかった。
貧すれば何とやらで、既に私の身にマイナスのオーラがただよっていたのだろう。人と会っても話ははずまない。

これでは仕事の話は切り出せない。途方にくれる毎日が続き1年ほどたったころ、旧知の女性経営者(某医師予備校)が倒産した別荘会社を買い取ることになったということでこの別荘地の鑑定をすることになった。

近畿圏域に8ヶ所あってその報酬が1,500万くらいであった。
これで一息つく事ができ、私自身パワ−も少し回復し除叙に依頼件数も増えていった。

平成12年頃から民間の仕事が結構増え始め、平成16年は750箇所のDDの仕事
がまい込み、税理士事務所、司法書士、土地家屋調査士の人達と走り回り久し
ぶりにうれしい日々をすごすことができた。

今思うと、最悪の危機的状況を乗り越える事ができたのは、私の努力ではなく、
本当に幸運の一語に尽きるようで、以来私は運命論者になって今に至っている。

今後は主に富裕層をタ−ゲットとしていた不動産鑑定を一般家庭の領域に広げる為、破格の安さ¥70,000−でマイホ−ム鑑定を普及すべく、WEBにて、マーケティングを始めている。

ぽつぽつではあるがネット関連の依頼が増え始め少し余裕も出き、又性懲りもな
く株式投資を始めている。

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